2011年7月20日水曜日

テンカラ師がゆく(1)

 去年の釣り始めは四月四日だった。

 僕の渓流釣りは例年この頃から始まるのが常であったが、今年は三・一一に未曾有の東日本大震災にみまわれ、この国のあり方が議論されている最中にとても渓流釣りを楽しむ余裕もなければ、罪悪感さえ感じ一〇日間もあったゴールデンウイークも、ただ自宅で溜息を付いていた。
自分が塞ぎ込んでも何も変わらないし、無気力になるのが怖くなり、本日思い切って渓流釣りに出掛けた。
神ノ川に釣り人は誰も入渓していない。

 何時ものように、山の神、川の神に渓流へ入る許しを受け、流れに手を入れる。
雪代は終わり、水温は一〇℃前後かな、澄み切った水は優しく僕を受け入れてくれる
喉から胃の腑に染み通る渓水はただ、甘露。

 この滝は八年程前の大豪雨によって壊滅し、二年の歳月をかけた砂防工事によって復旧したように見えるが、滝壺の様相はまるで別物にされてしまった。
 
 この滝壺の下はコンクリート敷きで岩魚の生息場所ではなくなってしまった。僕が初めてこの滝に出会ったのは十数年前、あの時滝壺は手前に見える岩で固められて所々に大岩が点在し、恰好の岩魚生息域であった。

 記念すべき第一振りは、僕の狙い澄ました場所に吸い込まれるように着水したと同時に二尺はあると思われる大岩魚が毛鉤に食いついたが、魚の掛かった感触もなく毛鉤が消えた。

 今まで管理釣り場で六〇㌢を超える虹鱒を釣ったことだってあるのに、全く掛かった感触がないまま毛鉤が消えたことに、僕は呆然とした。

 そうだ、誰かから「神ノ川には主の大岩魚がいる」と聞いたことがあったのを思い出した。
 僕は「あいつが神ノ川の主だ」と直感した。

 僕は時を忘れて毛鉤を振り続けたが、その日はもう出なかった。
 この年はこのワンポイントにどれ程通い詰めただろう。
 だけどこの年と翌年も「あいつ」に出会うことはなかった。

テンカラ師がゆく(2)つづく